理事長からのご挨拶


 正光寺に関わる多くの方々、中でも娯楽や学びの場が今よりも少なかった頃を生きてこられた方々は、幼い頃にお寺で体験したたくさんのことを大切にしておられます。折に触れてそのことを柔和な表情とやさしい言葉遣いで語って下さるのを聞くにつけても、それがその人にとって尊い経験であり、その人の人生を精神的に豊かなものにさせる一助となったであろうことが容易に見て取れます。またそのことは、昭和から平成にかけた激動の時代の中で力強く生きていく上での、大きな支えにもなったに違いありません。

世の中は今、少子高齢化や、格差社会、景気低迷など、それは個人的にしろ、集団的にしろ、様々な問題を抱えています。しかし、そもそも世の中に社会問題のなかった頃がはたしてあったのでしょうか。大小様々な歴史的出来事の裏で色々な問題に直面しながらも、必死にその時代を生き抜いた人々の苦労は、いかほどのものであったことか。そうした例は枚挙にいとまがありません。それは、先述した正光寺で素敵な思い出を語ってくださった方々においても同じはずです。
このように、私たちの前には次から次へと様々な問題がわき起こってきます。故に、それらに対応する能力を身につけることが否応なく求められます。その対応能力を身につける最良の手段こそが、幼少期からの教育なのです。

よく「三つ子の魂百まで」といわれます。良くも悪くも幼少の頃の人格が大人になっても変わらないものであるとするならば、諸問題に対応できる能力を発揮できるような人格が形成されるように教え導いていかなければなりません。そういった点において、幼少期の教育がいかに重要かをうかがい知ることができましょう。私たちが幼児教育に注目する点はまさしくここにあります。そしてそれは、単なる初期の人格形成だけに留まるものではありません。その人格を土台として、引き続き諸問題に対応できる能力の向上を続けていくことが肝要となってまいります。

このように、教育は幼少期だけで終わるものではありませんし、学生時代で終わるわけでもありません。むしろ、終えるべきものではないと考えております。能を大成した世阿弥は次に挙げる有名な言葉を残しています。

しかれば当流に万能一徳の一句あり。初心忘るべからず。この句、三ヶ条の口伝あり。
是非の初心忘るべからず。
時々の初心忘るべからず。
老後の初心忘るべからず。
この三、よくよく口伝すべし。(『花境』)

幼い頃に体験したことや苦労して体得したこととしての初心はもちろんのこと、各世代で新たに学んだこと、さらには円熟した世代においても未だ以て新たな事に心を向けて学んだその初心を忘れず、芸を磨き続けなければならないことを世阿弥は『花境』の中で語っております。

同じように、教育もそのようにあるべきではないでしょうか。ですから、私たちは幼児教育の中で、子どもたちがその後も一生を掛けて学び続けようとする土台作りをしなければなりません。

他方、幼児教育に関わる人たちは、教える立場(保育士)であったり、育てる立場(保護者)であったり、見守る立場(地域)であったりします。そうしたそれぞれの立場での「時々の初心忘るべからず」もあるはずです。

つまり、子どもたちを主体とした教育という縦軸と、幼児教育に関わる人たち自身もまた共に学んでいくという横軸による正比例のような関係がそこにはあるのです。
そのような観点に立って私たちは、

『正智と和合』~智慧ある人材の育成による共生社会の実現を目指して~

という理念のもと、すべての人々が共に学び、ともに成長できる環境の構築を目指して、あらゆる活動に従事していこうとしています。ここでいう「智慧」とは、諸問題に対応する能力のことを示しています。そうした人たちが共に生きていける社会(和合)こそが、私たちが目指す共生社会なのです。

そのような思いによって運営されている当園を卒園していった子どもたちが、いつか再び正光寺という名前を聞いて、柔和な表情とやさしい言葉遣いで当時を懐かしく誰かと語らう日が来ることを願って、牛の歩みも千里、一歩一歩、前に進んでいきたいと思っております。